生成されたコード
AI生成されたコードについて思ったこと
今日、大学の研究会で作っているソフトウェアについて聞かれたときにうまく答えられなかったんだよね。 何か作りたいものがあって、それを早く見てみたいからAIエージェントに一部作業をやらせて、それが生み出す成果物だけを見ていた。
でも、「それが、どういうロジックで動いてるか説明してくれる?」と聞かれたとき、困った。
成果物が出ているけど、それがなぜ出ているかはわからないなあ。もちろんコードは読めるから、見たらわかるんだけど…ちょっと待ってね…(30秒程度、確認)
2年前、未踏ジュニアやったときはこんなことなかったんだよね。質問されたときも、自分の頭の引き出しのなかに答えがあったので、すぐに答えられた。
でも今はどうだろう。自分の引き出しには、そのAIが書いたコードの成果物の定義しかないから、それがなぜ動いているかは(理解できるかできないかは別として)知らないことが少なくない。
一人で作っているアプリなのに、まるで、複数人で作っているような感覚になる。自分の手のひらのなかにすべてないから、他人に作ってもらって、自分はその詳細を把握できていないことがある。
んで、本来はそれを自分が知るように動くべきなのかもしれないが、それを、怠ることが増えている気がする。世の中があまりにも早く変わり、とりあえず作って世に出すことを考えすぎて、とりあえず、動けばよいという考えになってしまうときが多い。
これから自分は、自分がAIにやらせた他人のものに感じる成果物を、外の人に向かって堂々と自分が作りましたというのかな
もしこのAIエージェントが、人間だったら、一緒に飯を食べて、他愛もない話をして、その人がどうやって考えるかのクセをうっすらでも掴めて、多少は見ずとも仕事を任せていたかもしれないけど、AIは、多田言われたことをこなして、特に何も言わずに去っていく人のような感じがする。だから、何を出してくるかわからないし、とりあえず動いたな、で終わってしまう。
ってこれ、自分でも書いていてわからなくなってきたな?まあいいや。寝るわ。
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