日本の宗教
日本の宗教はないと言われるけど...「社会」そのものが宗教ではないのだろうか?という話。
日本の宗教と聞くと、神道ってよく言われる。あの鳥居(⛩️)のやつ。
何かみんなで共通のものやルールを信じるというのは社会の秩序を守るためにかなり有効に働くと思っている。そのルールによって行動を制限したりすることもあるし、どういう行動をすべきかを明確に示していることもある。
ただ、日本はそういうルールが実はあんまり明文化されていない国だと思う。
アジアの国をウロウロした感想
自分はマレーシアに留学してたけど、そこにはイスラム教という宗教が最も大きな宗教としてあって、それが社会の秩序を形成しているように見えた。マジョリティが同じ考えを共通し、それを強制することで、比較的容易に、国土全体に共通の考えを広められていた。
タイとかも似ていて、仏教がある。イスラム教ほど厳格ではないと思うけど、それでもやっぱり仏教を中心としたルールなどがあって、それを守るか守らないかはある程度個人の裁量っぽいけど、とはいえ共通の考えは根付いている。
神はいないのか
しかし、日本は宗教がそのように機能しているだろうか?と思った。自分は自分が何を信じているかわからない。親からも神道だと言われたことはないし、神道って鳥居のやつだっけ?っていうレベルだ。クリスマスを祝うし、なんなら幼稚園はキリスト教の教会に併設されていて。毎日イエス様にお祈りしていた。
ああ神様仏様。とかOMGとか、いろんなとこに神は出てくるが、神って誰だよ!って言う。そんなこと言ったら神への冒涜だ!と言われるかもしれないが、本当に自分は何を信じているかわからないのだ。明示された形のあるもの、名前、存在がない。
じゃあ、日本人は何を信じているのか?
無神論ではない?
結局自分が行き着いた現時点での結論は、社会が神として機能しておる。というところだ。
日本にいると、周りの目を気にするように教えられる。そして、ルールを無視すると他者に強く批判され、周りを気にし、恥じる。時には社会的に制裁を食らうこともある。そして、その制裁は明文化されていないので、思っていた以上に強力、時にはその人の人生のやり直しが利かなくなるほどに。
海外でビジネスをやるとき、法律を破って罰金払えばよくね?ってなることもあるけど、日本はそれは許されない。法律を破ること以上に社会の目を気にする。そんなことしたら謝罪会見だ。過ちを犯したら謝罪会見という儀式を行い、社会的な活動をアピールし、社会に受け入れられば復帰できるけど。
電車では静かにして、目上の人には敬語を使う。クルマを運転していても、周囲の調和を優先し、60キロの高速道路では暗黙的に73キロくらいで走る。これは明らかな違反だが、自分は以前60キロで走ったとき、後ろから煽られたことがあるので、それ以降は周りに合わせて走っている。
宗教と違ってルールが明文化されていない。マレーシアに行ったときは、それらが明文化されていて、それを知り、その考えをリスペクトすれば相手は「あなた、すごい親切ですね」ってなる。
日本は聖書もないので、明文化されていないルールがある。どこで自分は学んだんだろう?学校?生活?両親?
神は社会なんだなと改めて思った。
聖書もないのにどこでも同じ
さらに、それは驚くほど日本全体で通用する。北海道に行っても、沖縄に行っても、ルールはほぼ同じなのだ。エスカレーターの左右の立ち方は違うけど(笑)、だいたい共通の概念はある。
これのおかげで日本の治安は奇跡的に良いんだろうな。警察も大したコストをかけずとも勝手にルールが守られる。
苦しいよね
でも、このルールには限界もあって、同調圧力が強すぎて、それで苦しくなっちゃう人もいる。さっき、ルールを無視する人に対する制裁とあったが、ルールを無視しなくても理不尽な制裁を食らうこともある。1人がたまたま気に食わなくて、個人的な制裁を加えただけでも、それが正しくなる場合がある。そして、その個人的な感情が集団の正しさとなってしまった場合、集団による攻撃となる場合がある。だって、その正しさに従わなければ自身も攻撃されることがあるから。
結局、日本の宗教は社会そのものな上に、マレーシアとかみたいに異なる宗教を持つ複数の集団がいない…?ような気がするので、異端審問みたいな状態になってしまっている気がする。まあこうして異を唱えることができるのも日本ではあるので、それが必ずしも悪いわけではないけど、苦しく感じてしまう人も少なくないよね〜と思った今日この頃でした。
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