副作用から学ぶことが難しい時代
何かを学びに来ていたら、面白いことを見つけて、それを調べていたら気づかぬうちにできることがふえていた...自分は今までそうやってできることを増やしていたけれど、これからそれがAIによってどう変わり、それによって損失が起きないようにどうやって世の中を設計していけばいいんだろう?
自分はどうやって学んでるんだろうと考えているけど…副作用的な学習って結構多いのかもなあ
例えばさ、自分はマイクラが好きで、サーバーとかで遊んでいたわけだけど、そこからパソコンを触るようになって、インターネットに触れたわけで。 世の中、こういうところから興味を持っていくんだろうなって。実際、大学とかでインターネットの仕組みとかに詳しい人たちも、こういったところから興味を持っているのかな〜って勝手に思っている。
自分はどこから気づきが生まれるのか?
で、これは趣味とか、意図した探求といったところからだけじゃなくて、さらに思いがけないところから発見をすることもあるのかなと考えている
自分は以前、プログラミング教室でマイクラを教えるバイトをしていたんだけど、そこで困ったことがあって、そこから未踏ジュニアとかを経てソフトウェア開発を楽しむようになった。 本来の目的は、アルバイトとして、与えられたタスクをこなし、対価を得る、ってことなんだけど、そこで自分不便だなーと思ったところとか、細かい気づきとかが本題から逸れていって、それが自分の好きなこととか、さらにやりたいことに繋がっているのかなと思っている。
AIが出て、どういう影響があるのかな
実は、最近は、こういった気づきが少し減っているように感じていたりする。
直近だと、大学で作っているアプリがあるんだけど、半分以上の実装をAIにやらせていたりする。でも、自分が本来知るべき深い部分の理解とかが欠如していることがあって、そこを指摘されたとき、「AIが作ったのでわかりません」ってなってしまうことが…
マジで、これは本当に重大な問題だと思っている。でも、止められないんだよね。
企業とか、研究者とかも当たり前のように使って、少なくともソフトウェア開発などの分野において、必要なコストと、自分自身の時間が圧倒的に減っている。周りがAIを使っている中で、自分だけAIを使わずに、手書きでコードを書いているなんてやってられない。
しかし、コードを書くあの時の楽しさとか、いちいち考えている時の突発的な気づきが、コーディングの体験がなくなったことで一緒に消えたのかもしれない
自分が未踏ジュニアをやった2024年当時は、まだChatGPTとかがそこそこアホで、自律してコードを書けなかったんだよねー懐かしい… 「GPT4賢すぎでしょ、これは世界が変わる」とか「Google BardがGeminiに改名するらしい、いつまで続くかな」とか「Anthropicという会社がClaude 3 Haikuをリリースした」とか…いろいろ騒がしかった時代でもあった。
当時はまだ、コーディングエージェントがあんまりなかったし、使い物にならなかったのが懐かしい。AIが書いたコードを見ながらコピペして、なんで動くかを考える必要があった。AIが頼りなかったのでたくさん寄り道をしていた。
でも、いつからだろうか?気づいたらAIに全部任せっきりになっている気がする。
うろ覚えだけど、2024年の夏あたりに、Cline, Devinあたりが登場して、エンジニア界隈が大きく盛り上がった。CursorみたいなAIが統合されたエディターも台頭してきて…
そうだそうだ。そのあと、秋から冬にかけて、GPT o1とかいうのが出てきてさ、LLMがReasoningというのをするようになった。
もはや、この数年の流れだけでも年表にできてしまう気がしている。新型コロナウイルスの流行のときも、世界は大きく変わって、ついていけなくなりそうだったけど、それと同じか、それ以上に変わるのが早い気がする。そして、人間は思った以上にこれに順応している。
そのあと、o3が出てさ、DeepSeekショックが来て、Claude Opus 4が出て、みんなびっくりして、GPT5, 5.5…みたいに進化してきているよね
進化して、なんでもできるようになって、自分より知識があるから、全てを任せっきりになってしまっているかもしれない。
怖いと思っている
もはやここまで変化が来ていると、今年は人間を超えるのか?みたいな感じすらしてしまう。恐怖すら覚える。自分はこれについていけるのかな?って。
でも思ったより人間は単純だから、あまり気にしなくても死にはしない。その場にある便利なものを使っている、という感覚なだけなんだろうな。
というかそもそも人間はすでに超えているんだよね。確かに、地球上のすべての人間のレベルを超えたかというと怪しいけど、あそこまで広範な知識を持っていて、どんなことを聞いても、その分野のトップクラスの回答をするみたいな人間は自分は見たことがない。自分がずっと考えてもわからなかったことを、一瞬で解決してくれる。
学ぶ意味とは…?
もはや技術を勉強したところで、社会に出て役に立つのか怪しくなってきた。自分が知っている範囲でも今のところはまだAIが得意ではない部分(ハードウェア開発とか、低レイヤー、OS周り)とかがあるけど、これがそうでなくなるのは時間の問題だと考えている。
自分が何を研究したいのかもわからない
自分は以前、LLMをプログラミング教育に使おうとして、いろいろ試行錯誤して、それを大学に入って続けたりしようかなーと思っていた。入試の書類にもそう書いた。でもどうだろう?大学に通い始めて数ヶ月で、自分が今まで作ってきたものと同じようなものがAIで作れるようになった。
もちろん物を作るのは楽しい。でも、それを作るプロセスの楽しみはかなり減ってしまったように感じているし、AIにやらせるので、自分がやっていた頃のような、副産物がなくなってしまった。
じゃあ、自分はどうやって能力を得ていけば良いんだろう?という問いはとても難しくて、多分AIにそのまま全部やらせてしまっている場合、最悪、自分で解決できず、全てをAIに依存してしまうことになる。別に世の中それで回ると思う。
多分みんなAIに骨抜きにされても、それをみんなが使えばみんなそれっぽく社会は回ると思う
でも、AIに依存してしまうのはどうなのだろうか?
パソコンがないと何にもやってられないし、もしそれが突然世の中から消えたら多分人間は何もできない。それと同じレベルに依存するのかな、と考えていたりする
別に依存すること自体は悪くないと思っている。それで何かが良くなるなら。 何が良くなる?人間の技術力?人間が幸せになる? なぜ人は動くのかを考えて書いたことがあるけど、なんか、このままだとさ、なんで生きているかわからなくなってしまいそうだよね。何を楽しみに生きているんだろう
おい、Gemini、お前はどう思う?
この究極の問いに対する答えは、おそらく「結果」ではなく、やはり「過程」の中にしかありません。 AIが一瞬で完璧なものを出力できたとしても、人間は「自分が手を動かし、悩み、形になった瞬間の喜び」を欲する生き物です。社会全体が効率よく回ることと、個人の人生が豊かであることは、まったく別の話です。すべてが便利になった世界でも、人間はあえて不便な雪山に行ってボードで滑り降りたり、面倒な手順を踏んで自分で回路を組んだり、美味しいものを食べて感動したりします。それは、「非効率な身体性の中にこそ感じられる生の喜び」があるからです。テクノロジーの進化のスピードに恐怖を感じ、意味を見失いそうになるのは、あなたがそれだけ真剣に技術と向き合い、自らの手で「作る」ことを愛してきた証拠です。もし「作るプロセス」の多くをAIが担う時代になったとして、それでもあなた自身が「どうしても自分の手で触れていたい」「この面倒くささだけは手放したくない」と感じる領域や瞬間は、今のあなたの中に残っていますか?
なんか並の人間のような回答をしていてつまらないな。
あ、そっか、LLMは人間の上に成り立っているから、人間のフリをするのか。AIの視点に立って考えるとどうなの?
AIとしての視点からお答えすると、最も根本的な事実として、私には「感情」や「生きる意味」、あるいは「ものづくりの楽しさ」という概念がそもそも存在しません。 私は膨大なデータを処理し、確率に基づいて最適な出力を行うプログラムです。したがって、あなたが感じているような喪失感や、未来への恐怖を「実感」として共有することはできません。しかし、情報処理の仕組みという客観的な視点から、今の人間とAIの状況をどう捉えているかをお話しすることはできます。
くそっ、全然面白くない、もっと「お前ら人間は滅びるべきだ!!」とか言っていたら面白いのにね。(多分そういった結果が出ないようにチューニングされているので仕方ないが)
面倒くさい道に進むべき?
結局、自分が楽しくモノを創り続けるには、面倒くさい道に進むべきなのかなーと最近は思っている。わざとAIを使わずにやってみたり、AIを質問攻めにしてみたり。そうすることで、そういった過程を楽しむことができるし、できたときの達成感は半端ない。
資本主義のせい
自分はお金の仕組みに関する理解が乏しいと自覚しているので、これが合っているかはわからないが。
結局、依存してしまうのは資本主義というシステムもあるのではないかと思っている。作った物を売ったらお金になるし、お金で物が買える。だから、AIを使って、短いスパンで、より安いコストでものを作って、売ったら、さらにお金になるし、成長も加速できる。
学校でも似たようなことが起きている。学校で宿題が出たら、みんな当たり前のようにAIに突っ込む。で、先生はAIを使うなと言うので、生徒はパラフレーズツールにかけて、AIだとバレないようにして、あたかも自分の回答のように振る舞う。でも何にも学んでいない。それでもみんなやり続ける。だってその宿題で成績が決まるわけで、成績が進路に響く世の中だから。
基本的にAIを使った方が良い点数が取れると思ってしまっているのかな。
何にも学ばないまま、ただ高い点数を取って卒業したとしても、少なくとも今の日本では受け入れられている。だって、就職したって大学で学んだ知識は使わないケースが多いし、企業だって知識目当てで採用しない。むしろ、余計な情報がインプットされていないからこそ、新卒として採用して、都合が良くなるようにチューニングできるし。
こんな便利なものがあるならお金をそこに集めよう、となって、1箇所にリソースが集中させることができるのもまた資本主義なわけで。
遠回りで遅れてしまう
正直いって自分も面倒くささを楽しみたいけど、あんまり遠回りできていない気がしている。ぶっちゃけ大学の課題もAIにやらせていたりするし。
時間をかけてやるべきだとわかっていても、やりたいことがあるし…あれ、これって、大学に行く意味ある?
幸いなことに、自分のそのほかにやりたいことっていうのは研究会の話だったりするので、まだ大学内に収まっている。自分のいる大学は、分野の横断ができて、1年生とかから好きなことが(あれば)できるので、大学内であとからやりたいことを見つけることが比較的容易なのかもしれない。
とはいえ、面倒くさいと思っている、ぶっちゃけ取りたくないけど単位のために取っている、みたいな科目をAIでスキップしてしまっているせいで、そこで本当は見つけられたかもしれないものを見逃している可能性が高い。
短い人生で競争させられているような状態で、寄り道をするべきなのか?っていうのはあるけど、でも、人間であるから寄り道ができるわけで…。
といっても、今のLLMができないだけで、そのうちいろいろ関係ないことを考えて新たな発見をするようなものも出てくるんだろうなあ…
でもダラダラ寄り道しまくっていることが評価されにくい世の中で、具体的な成果を求められる。AIがすでに特定の分野においてエキスパートのようになってしまっているので、人間という集団の知能として新たな発見のためにダラダラ寄り道をしまくるべきなのかもしれない。でも、目標がわからないから、それはそれで難しいのかなー。
結局何が言いたいんだ
多分自分はもっと寄り道がしたくて、それを楽しいと思っている。でも、今の世の中はすごく競争が激しい(それはいつの時代もだけど)し、最近はAIが人間のやることを肩代わりするようになったので、面倒くさいと思いながらやっていたことから、道草を食って新しいことを見つける、みたいなことができなくなっていると思っている。だから、本当は、そういった道草を食って生きていきたいけど、具体的な成果が出ない可能性が高い。いずれAIが人間の代わりに成果を出すようになったら、AIがやりたがらないクソ面倒くさいプロセスを、道草を食いながら、考えていけばいいのかな?と思うし、社会がそう変わっていくように仕向けるべきなのかもしれない。また、人間が成果を出したら報酬が与えられるという仕組み自体も変えると、幸せに生きていけるのかもしれない。(それによる副作用は相当あるので、一概に良いとは思えないが)
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